からだの声を聴くということ・その2
さて、昨日の続きです。
私、実は、前にもありました、これ。
去年の今頃、息子のサッカーの試合を見に、宮古島と3540mの橋で繋がった伊良部島にいた日曜日。 リーグ戦の当番校の仕事があり、キャンプ用のディレクターズチェアみたいなのに座って、
試合を応援しながら選手の受付とかしてた時、本当に急に謎の激痛に襲われ、
娘と試合中の息子を他のお母さんに頼み、ちょっと病院行ってくるわごめんねと言い残し、
車を運転、すれ違う車もほとんど無い、田舎道なのをいいことに
(今考えると危ないし良くないことなんだけど)
激痛で途中途中で停車しながらも、ほうほうの体で伊良部島で一番大きな診療所に到着するも、
日曜日だから、閉まってる。
しかし宮古島までは車で30分、そこまで自分の運転で行ける気がしない、
夫は宮古島で仕事中、他の父兄に頼もうにもみんなそれぞれ役割もあるし、
これはもう、救急車を呼ぶしかない、と、病院の駐車場で救急車を呼びました。
私、当時44歳にして、初めての救急車。
しかしですね、救急車で宮古島の県立病院に運ばれて、先生が診てくれたんですが、
いわゆる触診ですかね、ここは痛いですか、この体勢は痛いですか、など、
何か検査をするでもなく、治療をするでもなく、
私はとにかく激痛を何とかしてくれ―!!と思うのですが、先生は、
私を転がしてみては、違うなー、ここはどうかな、違うなー、みたいなことをしてるわけです。
もうなんでもいいからどうにかしてー!と泣きそうになってたんですが、
ですがね、 「とりあえず痛み止めで様子を見てみましょう」と言われて、
普通の経口薬の痛み止めですね、ロキソニンだったと思いますが、
(それを片手に看護師さんが「痛いなら座薬でも大丈夫ですよ」って、今にも挿さんとばかりにもう片方の手に持っていて下さって、いやさすがにそれは・・・というやり取りの後)、薬を飲んだんですね。
そしたらなんと、その30分後くらいでしょうか。すっかり治った。
んんん?すっかり治った?あんな痛かったのに?はて、なんの痛みだったのか?
その医者曰く、「おそらく、筋肉の炎症だと思います」って。
筋肉の炎症って、筋肉痛ってこと? お腹が?
緊張していたんじゃないですか?体勢の悪い椅子で、応援で声も出していたでしょう?って。
まさか、あのディレクターズチェアで?筋肉痛?お腹が? え、私、どんだけ運動不足??
もう、恥ずかしくて、どうしようかと思いましたね。
大層に救急車で運んでもらって、筋肉痛って。お腹が。いやあ、本当に情けない。
私、猫背でなで肩で、姿勢がいつも悪いし、胃下垂だし、
そういえば逆流性食道炎の時も、その時の内科の医師に
「姿勢に気をつけて、腹筋を鍛えた方がいいですよ」って言われてた、私。
そういえば宮古では水着で遊ぶことも多かったせいか、お腹もちょっとは気にして凹ませてたけど、
そういえば40歳過ぎてからは日焼け防止でラッシュガードだったからたるんでたな・・・
(←どうでもいいことまで回想)
ちょっと腹筋がだらしないって、恥ずかしいから、なんとかしないとな、と思ったんですね、当時。
ようするに、今回の痛みも、これだったんだろうなと、
そういえばこんな痛みだった気がする、と思い出しました。
もう一回言いますが、私、どんだけ運動不足?
マウンテンバイクのあの微妙な前傾姿勢で?腹筋が?筋肉痛?
あと「そういえば」が多すぎ、どんだけ学習してないの?
いやあ、情けないにも程がありますが、まあ、それはちょっと置いておいて。
からだ学としては、からだの違和感や痛みは、からだからのメッセージを私たちにわかってもらいたくて教えてくれている、という考えです。
じゃあ、前回の救急車騒動の時もそうだとして、このおなかの筋肉痛の「からだからのメッセージ」って何だろう。
痛くて寝転がっている間に、考えてみました。
タッキー先生の「からだからのメッセージが、人生を変える」を読んだり「27のからだ学連続講座」を振り返ったり。
それでですね、わかったんです。
これ、きっと、「怒り」の感情のリリースだったのかなと。
「27のからだ学と連続講座」でタッキー先生が、筋肉と感情の考察として、
「感情の傷っていうのは筋肉の緊張。一度ずつリリースするのとしないのとでは違う、
未消化のままだと筋肉に溜まっていく」っておっしゃってたんです。
つづく。
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